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正岡律

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正岡律

正岡律
俳人・正岡子規の妹。財団法人子規庵保存会初代理事長。 15歳のとき、陸軍軍人・恒吉忠道氏と結婚するが9ヶ月で離婚。 17歳のときに松山中学校の教師・中掘貞五郎氏(夏目漱石『坊ちゃん』の「うらなり」のモデルといわれる人物)と再婚するが10ヶ月で離婚。中掘氏との離婚は、喀血で倒れた子規の看病で律が正岡家に戻りっぱなしだったため、すれ違いがあったといわれている。 2度目の離婚後は、子規が東京の新聞社に就職したのを機に、母・八重とともに松山から上京。親子三人で暮らすようになる。東京での律の生活は、脊髄カリエスを発症して歩くこともままならなくなってしまう兄・子規の看病に捧げることとなる。正岡律の献身的な様子を、主治医・宮元仲は、「女の中の役、細君の役、看護婦の役と、朝から晩まで一刻の休みもない」と賞賛した。 子規が病没した後は、共立女子職業学校に入学。卒業後は和裁の教師となる。

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