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徳川家慶の肖像画

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徳川家慶の肖像画

徳川家定
江戸幕府の13代将軍。幼名は政之助、初名は家祥。正室は2008年にNHK大河ドラマ『篤姫』で有名な天璋院篤姫。12代将軍・家慶の四男として江戸城にて生まれる。家慶には14人もの男子がいたがほとんどが早世し、家定のみが生き残り将軍となった。しかし、家定も生来病弱なうえ、人前に出るのを極度に嫌う性格で乳母以外に心を開かなかったとも。1853年にペリーが来航、時局が混迷するなか12代将軍・家慶が急死、そのため家定が13代将軍となったが体調不良もあり、お飾り的存在にすぎなかったという。家定には世継ぎがなく、さらに病状が悪化したことから南紀派VS一橋派による将軍継嗣問題が勃発。家定は南紀派が推薦する紀州藩主・徳川慶福(のちの徳川家茂)を将軍継嗣にすると宣言し、その後すぐ他界した。墓所は東京の上野にある寛永寺。カステラなど菓子作りが趣味だったといわれ、ふかし芋や煮豆などを家臣に振る舞ったりしたらしい。そのため松平春嶽からは「イモ公方」などと揶揄されたとも。

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