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徳川家治の肖像画(狩野典信 画)

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徳川家治の肖像画(狩野典信 画)

徳川家治
江戸幕府の10代将軍。幼名は竹千代。9代将軍・家重の長男として生まれる。幼い頃から非常に聡明で、8代将軍で祖父の吉宗からその将来を期待され、直接、帝王学や武術を教えた。将軍に就任すると父・家重の遺言に従い、田沼意次を重用、吉宗時代からの重臣・松平武元とともに重商主義政策に取り組んだ。しかし、世子の急死、松平武元の死などから次第に幕政を田沼意次に任せ、自らは趣味の世界に没頭するようになった。跡継ぎがいなかったため家治は一橋家当主・徳川治済の長男・豊千代(のちの11代将軍・家斉)を養子とした。1786年、脚気による心不全のため他界。墓所は東京の上野にある寛永寺。

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