与謝蕪村の肖像画
与謝蕪村
江戸時代中期の俳人、画家。松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨人で「江戸俳諧中興の祖」といわれる。また「俳画」と呼ばれる新ジャンルを開拓したことでも知られる。本姓は谷口(谷とも)、名は信章、通称は寅、俳号はほかに宰鳥、夜半亭など、画号は春星、謝寅(しゃいん)など。摂津国東成郡毛馬村(現・大阪市都島区毛馬町)にて生まれる。20歳の頃に江戸へ出て早野巴人(はやのはじん)に俳諧を学び、宰鳥と号した。師の没後、尊敬する俳聖・松尾芭蕉の足跡を辿る旅に出発、東北地方を巡った。その後も丹波や讃岐などを旅し、のち京に居を構えた。68歳の時、京の自宅で心筋梗塞により他界。辞世の句は「しら梅にあくる夜ばかりとなりにけり」。墓所は京都市左京区一乗寺にある金福寺。蕪村の句の特徴は、絵画的で写実的なところにあり、天才的な言語センスから生み出される句は正岡子規など近代俳句に多大な影響を与えた。代表的な句に「春の海ひねもすのたりのたりかな」「なの花や月は東に日は西に」「牡丹散りてうちかさなりぬ二三片」など。また、画家としても同時代の円山応挙と並び称される巨匠で、池大雅との合作「十便十宜図」(国宝)をはじめ「奥の細道図巻」「山水図」「夜色楼台図」(国宝)など数多くの傑作を描いている。
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