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庄司甚右衛門の墓

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庄司甚右衛門の墓

庄司甚右衛門
江戸時代前期の町人。江戸の吉原遊郭を創設した人物として知られる。江戸時代前期の盗賊・高坂甚内、古着市を仕切った鳶沢甚内とともに「三甚内」と呼ばれる。小田原北条氏の浪人とも、東海道吉原宿の出身とも駿河の宿屋の主人だったともいわれるが、その出自・経歴は不明な点が多い。かつては甚内と名乗っていたが、当時、同名の盗賊が暗躍していたためこれを嫌い改名したとも。甚右衛門は、1612年(慶長17)、それまで点在していた江戸市中の遊女屋を一ヶ所に集めて傾城町を設立することを幕府に願い出るとこれを許され、1617年(元和3)、吉原遊郭をつくり、惣名主となった。甚右衛門は江戸町1丁目で妓楼「西田屋」を営み、「おやじ」と尊称され、吉原近くを流れる東堀留川に架かっていた「親父橋」は甚右衛門が架けた橋という。子孫は代々名主職を継承している。

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