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尾形乾山の作品

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尾形乾山の作品

尾形乾山
江戸時代前期に活躍した陶工、絵師。名は惟充。通称は権平、新三郎。号は深省、乾山、霊海、扶陸・逃禅、紫翠、尚古斎、陶隠、京兆逸民、華洛散人、習静堂など。一般に窯名として用いた「乾山」の名で知られる。京の呉服商「雁金屋」の三男として生まれた。同時代に画家、工芸家として名をはせた琳派の大成者・尾形光琳は実兄である。24歳の頃、父の遺言により屋敷や諸道具を兄と折半、乾山は仁和寺の南に「習静堂」を構え若くして隠棲すると、近くに住んでいた当代きっての陶芸家・野々村仁清から陶芸を学んだ。37歳の時、尾形兄弟の才能を高く買っていた関白・二条綱平から京の北西(乾の方角)、鳴滝泉谷の山荘を与えられここに窯を開いた。これにより「乾山」と号するように。金襴豪華な兄・光琳の作風とは対照的に、乾山の作風は自由で想像力豊かつ洗練された絵付けと素朴な味わいが特徴。乾山が器を作り、兄・光琳が絵を描くという兄弟合作も数多く残る。京の二条丁子屋町(現・二条通寺町西入北側)に住んでいたが、晩年、江戸の入谷に移住、この地で他界した。辞世の句は「うきこともうれしき折も過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる」。代表作に、陶芸では「色絵桔梗文盃台」「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」「武蔵野隅田川図乱箱」など、絵画では「花籠図」「八橋図」など、兄・光琳との合作では「銹絵観鴎図角皿」「銹絵寿老人図六角皿」などがある。墓所は京都市上京区にある泉妙院や東京都豊島区巣鴨にある善養寺など。

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