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小林平八郎(『月百姿』より、月岡芳年 画)

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小林平八郎(『月百姿』より、月岡芳年 画)

小林平八郎
江戸時代前期の武士、「赤穂事件」で知られる高家・吉良上野介義央の家臣で吉良家の家老。平八郎は通称で、名は央通(ひさみち)。赤穂浪士四十七士による吉良邸討ち入りの際に討ち死にした。講談や歌舞伎、ドラマといった『忠臣蔵』のフィクションでは吉良方で最も活躍した家臣という設定で浪士たちを苦しめる剣客として描かれることが多い。女物の打ち掛けをかぶって浪士と華々しい立ち回りを演じる、という演出も有名。没年齢についても諸説あるなど不明な点の多い人物で、伝説によれば孫娘の生んだ子がかの天才絵師・葛飾北斎だというが真相は不明。墓所は東京都新宿区牛込にある吉良家菩提寺・万昌寺と東京都豊島区巣鴨にある慈眼寺。

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