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杉田玄白の肖像画

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杉田玄白の肖像画

杉田玄白
『解体新書』を翻訳したことで知られる江戸時代中期に活躍した蘭学者、小浜藩医。私塾「天真楼」を主催。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。医師である杉田玄甫の子として生まれ、医家の3代目となるべく医学修行に励んだ。19歳で小浜藩医となり、24歳の時に江戸の日本橋にて開業し町医者となった。1771年、蘭学者・中川淳庵がオランダ商館から借りたオランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』に掲載された解剖図の精密さに衝撃を受け、蘭学者仲間の前野良沢や中川淳庵らとともに小塚原刑場にて死体の腑分けを実見、同書の正確さを確認し翻訳を決意する。それから3年後の1774年、『ターヘル・アナトミア』の和訳として『解体新書』を刊行、将軍家にも献上された。そのほか著書に自身の回想録『蘭学事始』『形影夜話』など。墓所は東京の港区愛宕にある栄閑院。

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