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徳川家宣の肖像画(狩野派の絵師による)

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徳川家宣の肖像画(狩野派の絵師による)

徳川家宣
江戸幕府の6代将軍。幼名は虎松、初名は綱豊。別名に「甲府宰相」。甲府藩主・徳川綱重の長男として江戸の根津邸にて生まれる。3代将軍・家光は祖父にあたる。5代将軍・綱吉に跡継ぎがいなかったため、「家宣」と改名し綱吉の養子となり、綱吉死後の1709年、48歳で6代将軍に就任した。側用人に間部詮房を、政治顧問に新井白石を登用し、悪名高い「生類憐みの令」の廃止を開始するなど幕政立て直しに着手した。しかし将軍就任からわずか3年後、インフルエンザのため死去。墓所は東京の港区にある増上寺。不正や賄賂を嫌い、慈悲深い人物だったといわれる。

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