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歌川国芳の肖像画(自画像)

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歌川国芳の肖像画(自画像)

歌川国芳
江戸時代末期を代表する浮世絵師。画号は一勇斎。幼名は井草芳三郎。江戸は日本橋にある染物屋にて生まれる。幼い頃から絵を描き、15歳で初代・歌川豊国に入門。その名を世に知らしめたのが、1827年頃に発表した大判揃物「通俗水滸伝豪傑百八人」。これが大評判となり「武者絵の国芳」と称されるように。国芳作品は、豊かな画想、斬新で大胆な構図とデザイン、奇抜なアイデア、漂うユーモラスが魅力で、武者絵のほかにも「名所絵」と呼ばれる風景画や美人画、役者絵、戯画、春画など幅広いジャンルで多数の傑作を残している。また、無類の猫好きとして有名で、絵を描く時にも懐に猫を抱いていたといわれ、猫が亡くなると回向院に葬ったという。猫好きの国芳は猫の絵も多く描いており、猫を擬人化した作品は現在でも人気が高い。代表作には、巨大な髑髏が印象的な「相馬の古内裏」や“寄せ絵”の傑作「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」、天保の改革を風刺した「源頼光公館土蜘作妖怪図」、巨大な鯨と宮本武蔵が戦う三枚絵「宮本武蔵と巨鯨」、西洋画の技法を使った「近江の国の勇婦於兼」「忠臣蔵十一段目夜討之図」、東海道五十三次の宿場名を猫で表現した戯画「其のまま地口 猫飼好五十三疋」などがある。近年、「東都三つ又の図」に東京スカイツリーを予見したのではと思われるものが描かれていると話題になったが、井戸掘りの櫓ではないかと推察されている。

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