三浦按針の銅像(按針メモリアル公園 重岡建治 作)
三浦按針
江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイギリス人航海士、貿易家。本名はウィリアム・アダムス。「三浦按針(みうらあんじん)」は日本名で「三浦郡逸見(へみ)村に住む水先案内人」という意味。1600年(慶長5)4月29日、アダムスが乗船したオランダの商船「リーフデ号」が豊後国臼杵に漂着、当時、五大老首座だった徳川家康と会見した。家康の信任を得たアダムスは家康に招かれ江戸へ行くと、外交顧問として外交交渉などの際に助言を行った。また、数学や天文学、航海術などを家康やその側近たちに教授したともいわれる。さらに船大工だった経験を買われ、伊豆国伊東に造られた造船ドックにて西洋式帆船や大型船舶の建造を行った。こうした功により250石の旗本に取り立てられ、相模国三浦郡逸見に領地も与えられた。しかし、家康が没するとアダムスは冷遇され、不遇のうちに長崎の平戸で他界した。墓所は神奈川県横須賀市西逸見町にあり、国の史跡に指定されている。また、長崎県平戸市木引田町に「三浦按針終焉の地」の碑がある。
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