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徳川家茂の肖像画

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徳川家茂の肖像画

徳川家茂
江戸幕府の14代将軍でもと御三家紀州藩の13代藩主。幼名は菊千代。紀州藩11代藩主・徳川斉順の次男として江戸の紀州藩邸にて生まれる。13代将軍・家定に世継ぎがいなかったため将軍継嗣問題が勃発、家茂は南紀派に推挙され一橋派と対立した。結果、大老・井伊直弼の画策により13歳の家茂が14代将軍に就任した。1862年には公武合体策の一環として孝明天皇の妹である皇女・和宮と結婚、政略結婚ながら夫婦仲はとてもよかったという。聡明かつ実直な性格で幕臣からの信頼もあつかった家茂だが、第二次長州征伐の途上、大坂城で倒れそのまま20歳の若さで死去した。勝海舟は家茂の死を知ると「これで徳川幕府は滅んだ」と嘆いたという。墓所は東京の港区にある増上寺。研究によると非常に虫歯が多かったようで、その原因はカステラや羊羹など大の甘味好きが祟ったと考えられる。なお、近年、和宮の墓を調査した際、家茂ではないかと思われる写真が出てきたといわれるが、画像が失われたため真偽は不明。

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