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小林一茶の肖像画(村松春甫画)

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小林一茶の肖像画(村松春甫画)

小林一茶
江戸時代後期に活躍した俳諧師で、生涯に2万句を超える俳句を残した。本名は小林弥太郎。別号は、圯橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など。信濃は北国街道の柏原宿にある農家の長男として生まれる。3歳の時に実母が他界、8歳で継母を迎えるが馴染めず、14歳で江戸に奉公へ出た。25歳から俳諧の道を歩み出し、近畿・四国・九州を歴遊しながら俳諧の修行に励んだ。父の死後、遺産相続を巡り継母と12年間争う。この継母との軋轢は一茶の句風に大きな影響を与えた。一茶の句風について歌人・正岡子規は「滑稽、諷刺、慈愛の三点」とその特色を評している。代表的な句に「雪とけて村いっぱいの子どもかな」「めでたさも中位なりおらが春」「やせ蛙まけるな一茶これにあり」「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「やれ打つな蝿が手をすり足をする」「我ときて遊べや親のない雀」などがある。私生活においては52歳の時に28歳の妻きくを娶り3男1女をもうけたが皆幼くして他界、妻も若くして病死した。62歳の時に再婚するも半年で離婚、64歳で3度目の結婚をし1女をもうけるが誕生前に一茶は他界したため娘には会えなかった。

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