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滝沢馬琴の肖像画(画・長谷川雪旦)

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滝沢馬琴の肖像画(画・長谷川雪旦)

曲亭馬琴
大長編スペクタクル『南総里見八犬伝』の作者として知られる江戸時代後期に活躍した読本作者。本名は瀧澤興邦。幼名は春蔵のち倉蔵、通称は左七郎、瑣吉。著作堂主人のほか、笠翁(りつおう)、篁民(こうみん)、蓑笠漁隠(さりつぎょいん)、飯台陳人(はんだいちんじん)など、多くの別号を持った。なお、「滝沢馬琴」の名でも知られるが本人がこの筆名を使用したことは確認されていない。江戸は深川の旗本用人の五男として誕生。幼い頃から文学に興味を持ち、長じてから俳諧のほか医術や儒学も学んだ。武家の渡り奉公を転転としながらしばらく放浪生活を送ったが、戯作者・山東京伝と親交を結びながら戯作者として出発、『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』など大ヒット作を生み出し人気作家としての地位を築いた。馬琴の代表作として名高い『南総里見八犬伝』は馬琴のライフワークともいえる作品で、執筆は28年もの長期にわたり、全98巻、108冊の超大作である。晩年、馬琴は失明し執筆が不可能となったが、長男の妻・お路が助手となり口述筆記をすることで作家生活を続け、82歳で他界するまで生涯現役を全うした。墓所は東京の文京区にある深光寺。非常に几帳面な性格で、日々のようすを克明に記した日記が残されている。また、絵師・葛飾北斎と深い親交があり、『椿説弓張月』は北斎が挿絵を手がけている。

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