徳川家綱の肖像画(奈良 長谷寺所蔵)
徳川家綱
江戸幕府の4代将軍。幼名は竹千代。あだなは「左様せい様」。3代将軍・家光と側室・お楽の長男として江戸城にて生まれた。1651年に家光が死去すると同年、わずか11歳ながら4代将軍に就任した。少年将軍ということもあり家光死後の直後は政情が不安定になり、浪人・由井正雪らによる倒幕未遂事件(慶安の変)や江戸の大半を焼き尽くした「明暦の大火」が起こるなど不穏な空気が漂った。だが、家光の異母兄弟で家綱にとっては叔父にあたる保科正之や大老・酒井忠勝、老中・松平信綱ら「寛永の遺老」と呼ばれる名臣たちのサポートもあり、幕府機構の整備もさらに進み、安定した幕政を運営した。家綱は生来病弱なこともあり世継ぎに恵まれず、弟で館林藩主の松平綱吉を養子に迎え世継ぎとした。これにより徳川将軍家の直系子孫が将軍職を世襲するという形は崩れた。1680年5月8日、40歳の若さで他界。温厚な人物だったといわれ武芸より絵画などを好んだという。墓所は東京の上野にある寛永寺。
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