大友宗麟
大友義鎮(おおともよししげ)ともいう。幼名は塩法師丸。おもな官位は左衛門督。号は三非斎。霊名はドン・フランシスコ。
大友氏第21当主。キリシタン大名として、九州の北半分を支配し大友家の最盛期を築く。後年、北上する島津義久との九州の覇権をかけた戦い(耳川の戦い)に敗れ、衰退の一途を辿る。島津氏の猛攻により滅亡寸前まで追い込まれていたところで、九州攻めの豊臣秀吉軍が到着。島津を撃破した秀吉により、大友家は豊後一国をなんとか安堵された。
大友宗麟は、島津義久の降伏直前に病死。九州平定の結末をみることなく、この世を去った。