玉川兄弟の銅像(右が兄、左が弟)
玉川庄右衛門
いわゆる「玉川兄弟」の兄にあたる。
江戸時代前期の人物で、玉川上水の開削工事を指揮したことで知られる。急成長する江戸の町に住む市民の飲料水確保のため、神田上水に次いで開削されたのが玉川上水で、この玉川上水開削工事は1653年から54年にかけて行われた。途中、工事費用が底をつき兄弟は私費を投じて大事業を成功させた。その功により兄弟は名字帯刀を許され「玉川」の姓を名乗るようになり、200石の知行を与えられた。さらに玉川上水の管理も玉川家の世襲となり、多額の水道代を得られるようになったが、1739年に兄弟の子孫が起こした不祥事により上水管理の職は剥奪された。墓所は東京都台東区にある聖徳寺。玉川上水の出発地点である東京都羽村市には玉川兄弟の銅像が建っている。
玉川清右衛門
いわゆる「玉川兄弟」の弟にあたる。
江戸時代前期の人物で、玉川上水の開削工事を指揮したことで知られる。急成長する江戸の町に住む市民の飲料水確保のため、神田上水に次いで開削されたのが玉川上水で、この玉川上水開削工事は1653年から54年にかけて行われた。途中、工事費用が底をつき兄弟は私費を投じて大事業を成功させた。その功により兄弟は名字帯刀を許され「玉川」の姓を名乗るようになり、200石の知行を与えられた。さらに玉川上水の管理も玉川家の世襲となり、多額の水道代を得られるようになったが、1739年に兄弟の子孫が起こした不祥事により上水管理の職は剥奪された。墓所は東京都台東区にある聖徳寺。玉川上水の出発地点である東京都羽村市には玉川兄弟の銅像が建っている。
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