柳生十兵衛の肖像画
柳生十兵衛
江戸時代前期の剣豪、旗本。名は三厳(みつよし)だが一般に通称の「十兵衛」で知られる。幼名は七郎。2代将軍・徳川秀忠と3代将軍・家光の兵法指南役を務め幕閣としても活躍した柳生宗矩を父に、大和国柳生庄(現・奈良県柳生町)にて生まれた。同母弟に4代将軍・家綱の兵法指南役となった柳生宗冬、異母弟に3代将軍・家光に仕えた柳生友矩、柳生家菩提寺・芳徳寺の住持となった列堂義仙がいる。十兵衛といえば眼帯をした「隻眼の剣豪」として映画や小説などフィクションにもたびたび登場する時代劇のヒーローとして名高いが、自著や肖像画に隻眼であったという記録はなく、隻眼というのは創作の可能性が高い。十兵衛は13歳の時に3代将軍・家光の小姓となり、家光の剣術稽古の相手を務めるなど寵愛された。しかし、20歳の時、家光の機嫌を損ね江戸城を去る(理由は不明)。それから12年後、十兵衛は再び江戸城へ出仕することになるが、謹慎中の12年間の動向についてはほとんど記録がない。故郷の柳生庄にこもり剣術の研鑽に励んだとも、諸国を遍歴していたとも伝わり、こうしたことから後世、フィクションで「十兵衛隠密説」が誕生したと考えられる。父・宗矩の没後は遺領を弟・宗冬と分け、8300石を相続し家督を継いだ。役目を辞したのちは柳生庄にひきこもり、門弟たちの指南に励んだといわれる。1650年(慶安3)、鷹狩りに出て急死したと伝えられる(死因は不明)。墓所は東京都練馬区にある広徳寺と奈良県奈良市柳生町にある芳徳寺。剣豪として名高い十兵衛だが、柳生家きっての著述家としての一面も持っており、父・宗矩の口伝を書き留めた「昔飛衛という者あり」で始まる無題の著作や新陰流の口伝集大成で自伝でもある名著『月之抄(つきのしょう)』、『武蔵野』などがある。謎の多い十兵衛には「公儀隠密説」「女性説」などさまざまな俗説が存在する。また、愛刀として「三池典太」が有名だがこちらも真偽は不明。登場する作品も非常に多く、代表的なものとして小説では『魔界転生』『柳生忍法帖』(ともに山田風太郎)、『柳生武芸帳』(五味康祐)、『柳生十兵衛七番勝負』(津本陽)など、映画では『柳生一族の陰謀』『魔界転生』(ともに十兵衛を演じたのは千葉真一)など、テレビドラマでは『柳生十兵衛あばれ旅』(演:千葉真一)や『柳生十兵衛七番勝負』(演:村上弘明)など、漫画では『闇の土鬼』(横山光輝)、『十兵衛紅変化』(JET)など多数。
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