遠山金四郎 (遠山の金さん)の肖像画(晩年)
遠山金四郎
遠山景元(とおやまかげもと)。江戸時代後期の旗本で、北町奉行・南町奉行を務めた。時代劇ドラマ『遠山の金さん』のモデルとして有名。幼名は通之進、通称は金四郎。若い頃は放蕩生活を送っていた。江戸城西の丸小納戸勤務からはじまり、小普請奉行、作事奉行、勘定奉行を経て北町奉行に就任した。時の老中・水野忠邦による「天保の改革」に対しては、町人を苦しめる極端な法令には反対し、水野や目付の鳥居耀蔵と対立したという。ぜいたくを取り締まる水野忠邦は芝居小屋を廃止しようとしたが、その際に景元がこれに反対、芝居小屋の浅草猿若町への移転だけに留め芝居関係者と江戸っ子たちから大いに感謝された。水野・鳥居と対立を深めた結果、景元は北町奉行を罷免され大目付の職に転じたが、天保の改革が失敗し水野が失脚すると南町奉行に返り咲いた。なお、北と南の両町奉行を同一人物が務めるのは異例。墓所は東京の巣鴨にある本妙寺。フィクションにおける「遠山の金さん」といえば、桜吹雪の刺青が有名だが、景元に刺青があったかは諸説あり不明。また、景元の父・景晋(かげくに)が長崎奉行だったことからコーヒーを愛飲し、景元もコーヒーを飲んでいたのでは、ともいわれるが真偽は不明。
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