History Guide

葛飾北斎 自画像(画狂老人卍期)

edo

葛飾北斎 自画像(画狂老人卍期)

葛飾北斎
江戸時代後期を浮世絵師で化政文化を代表するひとり。姓は川村、幼名は時太郎、のち鉄蔵と名乗る。通称は中島八右衛門。画号は「春朗」をはじめ「宗理」「北斎」「戴斗」「画狂人」「卍」など30以上もある。森羅万象を画題に生涯で3万点を超える作品を生み出し、その名は世界的に知られ、1999年にはアメリカの雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインした。貧農の家に生まれ、鏡磨師の中島伊勢の養子となったが、その後、家を出て貸本屋の丁稚、木版彫刻師の徒弟などを経る。18歳頃、浮世絵師・勝川春章の門下となり絵を学ぶが飽き足らず、狩野派や堤派、中国絵画なども習得していった。作品ジャンルは幅広く、風景画、美人画、春画、戯作の挿絵、肉筆画と多岐にわたる。代表作に、富士山を主題とした風景画の傑作「富嶽三十六景」(特に波の描写が秀逸な「神奈川沖波裏」や「凱風快晴」(通称:赤富士)は有名)、超絶テクニックが冴えるスケッチ集「北斎漫画」、百物語を画題として妖怪を描いた「百物語」(特に「お岩さん」「さらやし記」が有名)、全国の珍しい橋を画題とした名所絵「諸国名橋奇覧」、流れ落ちる水の表情を巧みに描いた「諸国滝廻り」、晩年の傑作「肉筆画帖」、長野県小布施町にある岩松院の本堂大間天井に描かれた「八方睨み鳳凰図」、春画の名作「喜能會之故眞通 蛸と海女」、絶筆ともいわれる「富士越龍図」など数え切れない。臨終に際し、「天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう」と言ったという。辞世の句は「人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原」。墓所は台東区元浅草の誓教寺。法名は南牕院奇誉北斎居士。北斎は奇行でも知られるが、なかでも異常なまでの引越しの多さは有名で、生涯で93回ともいわれる回数の引越しをしている。娘のお栄も浮世絵で「葛飾応為」の画号で活躍、父・北斎譲りの才能で傑作を残している。

このエントリーをはてなブックマークに追加