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篤姫(天璋院)の落飾後

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篤姫(天璋院)の落飾後

篤姫
薩摩藩の名君・島津斉彬の娘(養女)。 落飾後の戒名・天璋院としても知られ、その波乱の人生から、NHK大河ドラマや小説でも取り上げられている。 21歳のときに、将軍継嗣問題で一橋慶喜擁立のために、第13代将軍・徳川家定と正室となるため、大奥に送り込まれる。 しかし、家定が慶喜を極度に嫌っていたことなどにより、慶喜擁立は成功せず、結果的にはこの政略結婚は失敗に終わる。 その後、家定は結婚後わずか2年で死去。篤姫は23歳で寡婦となってしまう。彼女はあくまで「徳川の女」として生きることを選び、戊辰戦争では西郷隆盛に徳川の家名存続を求める書状を送るなど、幕末という激動の時代に存在感をみせた。

島津斉彬
薩摩藩の第11代藩主。島津氏の第28代当主である。日本史上に残る名君。先見の明に優れ、革新的な施策で、薩摩藩の富国強兵をはかる。人材発掘および育成にも長け、下士階級の西郷隆盛や大久保利通を登用した。

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