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貝原益軒の肖像画 (作・狩野昌運、1694年)

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貝原益軒の肖像画 (作・狩野昌運、1694年)

貝原益軒
江戸時代前期から中期に活躍した本草学者、儒学者、教育者。本名は貝原篤信、字は子誠、通称は久兵衛、号は柔斎、損軒。一般に知られる「益軒」は晩年に名乗ったもの。福岡藩士・貝原寛斎の子として生まれ、益軒も福岡藩2代藩主・黒田忠之に仕えたが不興を買い、7年間の浪人生活を余儀なくされる。3代藩主の時代になると許され、藩医として帰藩、その後、藩費で京へ遊学に出て本草学や朱子学などを学んだ。この時期、儒学者・木下順庵や神道家・山崎闇斎、医師・黒川道祐らと親交を持つ。数年の遊学後、福岡藩へ戻り藩内で朱子学について講義を行ったり、君命により『黒田家譜』や『筑前国続風土記』を編纂した。晩年は執筆活動に専念し、膨大な著作を残した。益軒は「民生日用の学」を志し、多くの人々にとって有益なものとなるよう、著書はわかりやすい文体で書かれている。主な著書に、本草書『大和本草』、健康指南書『養生訓』、子女の教育を説いた『和俗童子訓』、朱子学への疑問をまとめた『大擬録』、紀行文『和州巡覧記』など。

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