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永倉新八

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永倉新八

永倉新八
新選組 二番組組長及び撃剣師範。明治4年以降は杉村義衛と改名。 近藤勇・土方歳三・沖田総司らとともに道場・試衛館の生え抜きであり、新選組結成メンバーである。 池田屋事件では、20数名の敵を相手に、先発隊として斬り込んだ4名のうちの一人としても名高い。(他は、近藤・沖田・藤堂) 鳥羽・伏見の戦いや甲陽鎮撫隊での戦い後は、思想の違いから盟友・近藤勇と袂を分ち、原田左之助と共に靖兵隊を結成。新政府軍に対して徹底抗戦するが、会津藩の降伏を知り江戸へ帰還する。 明治に入ってからは北海道小樽に移住。警察官僚・月形潔の誘いで、4年間、樺戸集治監(刑務所)の剣術師範として看守に剣術を指導する。のち、現・北海道大学(旧・東北帝国大学農科大学)でも剣道部を指導する。 また、明治時代きわめて評判の悪かった新選組への認識があらためられたのは、永倉新八が執筆した『浪士文久報国記事』『七ケ所手負場所顕ス』や、小樽新聞記者の取材に協力した『新選組顛末記』によるところが大きい。

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