大岡越前の肖像画
大岡越前
大岡忠相(おおおかただすけ)。江戸時代中期の幕臣、大名。時代劇などフィクションにおいて名奉行「大岡越前」として知られる。通称は求馬、のち市十郎、忠右衛門。官位は越前守。西大平藩の初代藩主でもある。8代将軍・徳川吉宗が「享保の改革」に着手すると、忠相は江戸町奉行(南町奉行)として江戸の都市政策や司法改革に携わり、町火消47組の創設をはじめとする江戸の防火体制の強化、小石川養生所の開設、江戸近郊の脳性改革などに尽力した。その後、寺社奉行、奏者番を務めた。晩年、三河国西大平1万石を拝領し大名となったが、町奉行から大名となったのは江戸時代において忠相ただひとり。8代・吉宗の死から約半年後、忠相も他界した。墓所は神奈川県茅ヶ崎市堤の窓月山浄見寺、東京の台東区谷中の瑞輪寺。大岡忠相といえば名奉行として人気だが、『大岡政談』などに見られる名裁判エピソードのほとんどは忠相の実績とは無関係で、中国やインドの故事もしくはほかの奉行の逸話などが脚色されたものという。
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