History Guide

蔦屋重三郎(版元として出版物に登場)

edo

蔦屋重三郎(版元として出版物に登場)

蔦屋重三郎
江戸時代中期の版元、プロデューサー。通称は「蔦重」。黄表紙・洒落本の山東京伝や朋誠堂喜三二、浮世絵の喜多川歌麿や写楽などを世に送り出したことで有名。父親は江戸の吉原遊郭で働いていたといわれ、蔦重も吉原で生まれた。1773年、吉原大門の前に書店を開業、その後、人気作家・朋誠堂喜三二の黄表紙を出版したのを皮切りに出版業を拡大、次々にヒット作を生み出し、やがて一流版元の並ぶ日本橋へ進出するなど大成功を収めた。しかし、老中・松平定信による寛政の改革で娯楽産業が厳しい取締りを受け、人気作家・山東京伝も作品が摘発され処罰を受けた。京伝をプロデュースしていた蔦重も処罰され、財産の半分を没収されるという憂き目にあった。だが、その後も写楽の浮世絵を出版するなど江戸の出版業界を牽引する版元として活躍した。1797年、脚気を患い他界。なお、レンタルビデオ店「TUTAYA(ツタヤ)」は、創業者が蔦屋重三郎の業績にあやかって命名したものであり、子孫による経営などではない。

このエントリーをはてなブックマークに追加