徳川家光の肖像画
徳川家光
江戸幕府の3代将軍。「生まれながらの将軍」として知られる。幼名は竹千代。異母兄弟に会津松平家初代・保科正之がいる。2代将軍・徳川秀忠と江(浅井長政の三女)の嫡男として江戸城西の丸にて生まれる。この時、明智光秀の家臣・斎藤利三の娘である福(のちの春日局)が乳母として付けられた。弟・国松(のちの忠長)との間に世継ぎ争いがあったともいわれるが、1623年、3代将軍に就任した。秀忠死後は将軍親政を敷き、強いリーダーシップを発揮、大名への参勤交代義務付け、「鎖国」体制の完成、キリシタン弾圧の強化などを行った。幕政においても将軍をトップとする幕府の基礎体制を確立するなど、幕府権力の基礎固めと強化に務めた。祖父であり初代将軍である家康を尊崇していたといわれ、家康が祀られる日光東照宮の大規模改築を行った。1651年に死去、死因は脳卒中とも。墓所は日光山輪王寺。
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