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高須四兄弟(左から松平定敬、松平容保、徳川茂徳、徳川慶勝)。1878年(明治11年)9月。東京の徳川慶勝邸にて撮影。

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高須四兄弟(左から松平定敬、松平容保、徳川茂徳、徳川慶勝)。1878年(明治11年)9月。東京の徳川慶勝邸にて撮影。

松平容保
幕末、京都守護職をつとめる。明らかな貧乏くじであり、家臣の西郷頼母らの反対にあうが、最終的には政治的な判断ではなく、立場および心情上引き受けてしまう。配下として新撰組を率いたことでも有名。

松平定敬
桑名藩第4代藩主。京都所司代。京都守護職であった兄の松平容保とともに、荒れる京都の治安維持につとめた。

徳川慶勝
尾張藩14代・17代藩主。高須四兄弟の一人(ほか、尾張藩15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬)。尊王攘夷を思想のベースとして、内政では、倹約による財政改革を行う。外政では、攘夷の立場から井伊直弼が調印した日米修好通商条約に抗議。政争に敗れ、安政の大獄の対象者となり、隠居謹慎となる。写真機に強い興味を持ち、自ら撮影した写真は今も1000点近く残され、歴史的に貴重な資料となっている。

徳川茂徳
尾張藩第15代藩主。高須四兄弟の一人(ほか、尾張藩14&17代藩主・徳川慶勝、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬)。尾張藩主であり異母兄の徳川慶勝が安政の大獄により隠居謹慎となったため、尾張藩主に就任。のち、徳川慶喜が将軍となると、一橋家を相続。(徳川茂栄を名乗る)。

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