太田牛一の墓(大阪府池田市の佛日寺)
太田牛一
織田信長の伝記『信長公記』の著者。
通称は又助。抜群の弓の腕前で「弓三張」のひとりに数えられ、1564年の美濃堂洞城攻めでは得意の弓で武功を挙げたという。だがその後は武者働きではなく内政面で活躍し政治手腕を発揮した。1582年の本能寺の変後、一度は蟄居したが豊臣秀吉に召しだされ吏僚として仕えた。隠居後は大坂玉造に住み文筆活動に専念した。
牛一の著作のうち代表作といえば、信長について記録した『信長記』15巻と、これに首巻を加え補修を加えた『信長公記』16巻だろう。これは牛一が信長や諸将の言動などをメモとして残していたものをまとめたものだという。また、秀吉について記した『大かうさまくんきのうち』『豊国大明神臨時御祭礼記録』や徳川家康について記した『関原御合戦双紙』などもある。
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