角倉了以の像(京都府嵐山の大悲閣千光寺)
角倉了以
茶屋四郎次郎の「茶屋家」と後藤庄三郎の「後藤家」とともに「京の三長者」といわれる京の豪商。
父・吉田宗桂は室町幕府に仕えた医者で、その傍ら金融業も営み勘合貿易にも従事していた。了以は、1600年頃から徳川家康に接近し、朱印船貿易が始まると安南国との貿易を行った。また、了以は土木事業に才能を発揮し、1606年に私財を投じて京の大堰川の開疏を行うと、1611年には暴れ川として知られていた京の高瀬川の開削工事に着手、1614年に工事は完了した。
この工事により高瀬川は水運の要となり、ここからあがる河川通行料は幕府財政を潤わせた。また、了以は幕命により富士川や天竜川などの開削工事も行っている。「水運の父」ともいわれる了以は文化人としても知られる。
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