今井宗久の肖像画(栗原信充 画)
今井宗久
名は兼員。初名は久秀。通称は彦八郎(のち彦右衛門)。
生まれは大和国ともいわれる。
茶湯の天下三宗匠のひとり(ほか、千利休・津田宗及)。独立都市・堺の豪商にして茶人。
号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。名は兼員、初名を久秀、通称を彦八郎のち彦右衛門。
1568年に織田信長が上洛するといち早く接近し、名物・松島の茶壷や紹鴎茄子などの名器を献上した。翌1569年、信長が堺に矢銭(戦費)の負担を要求、これに対し堺衆が激怒し一触即発の事態となったが今井宗久は彼らを必死になだめ堺を戦火から救った。この功により宗久は信長から重用されさまざまな特権を与えられた。
また茶人としても信長の茶頭を務めるなど厚遇された。信長没後は羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え、北野大茶会では茶頭を務めた。
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