齋藤内蔵助利三(太平記英勇伝五十四、落合芳幾 画)
斎藤利三
徳川幕府三代将軍・家光の乳母である春日の局の父としても知られる。
通称は内蔵助。「美濃の蝮」と呼ばれた斉藤道三の息子・義龍に仕え、その後、西美濃三人衆のひとり稲葉一鉄の家臣となったが不仲により一鉄の下を離れ、明智光秀に仕えるようになったという。
光秀の信頼を得た斎藤利三は筆頭家老に任じられ、丹波黒井城の城主となった。1582年、主君・明智光秀は織田信長に対し謀反を計画し、事前に重臣の一部にのみその計画を打ち明けた。利三もその中にいたという。
本能寺の変後、中国征伐から戻ってきた羽柴秀吉と激突(山崎の戦い)、利三は先鋒となり大いに戦ったが秀吉軍に敗れ、敗走した。その後、斎藤利三は捕縛され、斬首された(磔になったとも)。
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