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大内義興の肖像画

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大内義興の肖像画

大内義興
大内氏の30代当主で、周防・長門・安芸・豊前・筑前・山城などの守護を務めた戦国大名。 幼名は亀童丸。通称は六郎。尊称は大内介。おもな官位は従三位左京大夫。 大内氏29代当主・大内政弘の子として誕生した義興は、1494年に病身の父に代わり家督を相続すると勢力拡大を図り北九州にまで侵攻した。さらに1500年には細川政元によって京を追われた前の室町幕府将軍・足利義稙を山口に保護すると、1508年、義稙を奉じて上洛し義職を将軍に復職させ、自らは管領代として幕政に参加する立場を手に入れた。その後10年間、義興は管領・細川高国とともに京において権勢を誇った。さらに義興は日明貿易の特権を得て積極的に明と貿易を行いその利益を独占した。だが、義興が留守にしている間に出雲の尼子経久が大内領内に侵攻し始めたこともあり、1518年、義興は京を去り山口に帰国した。 その後、尼子経久と一進一退の攻防戦を繰り返し、勝敗が決せぬまま経久との対陣中に大内義興は病に倒れ、1529年1月29日、帰国直後にこの世を去った。

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