武田信玄の肖像画(作・武田信廉)
武田信玄
幼名は勝千代。通称は太郎。おもな官位は大膳大夫。あだ名は甲斐の虎、甲斐の龍。号は信玄。父親である武田信虎を追放し21歳で家督を相続。上杉謙信と5度に渡る川中島の戦いを繰り広げる一方で、着実に信濃・駿河を併呑。京都への西上作戦の途上で病没。
無敵といわれた武田騎馬軍団を率いて、織田信長や徳川家康を恐怖に陥れた。
武田信廉
武田信玄の弟。武田二十四将のひとり。
改名として孫六、信廉、信連。主な官位は刑部少輔。兄である信玄の死後、出家して逍遙軒信綱と号し、現在ではこの逍遙軒(しょうようけん)の名称で広く知られる。また、画家としても有名であり、父を描いた「武田信虎像」(甲府 大泉寺所蔵)や、「武田信虎夫人像」(長禅寺所蔵)はともに重要文化財に指定されている。
織田信長の息子・信忠による甲州征伐において、討死を遂げた。
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