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飯富虎昌の肖像画

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飯富虎昌の肖像画

飯富虎昌
武田信虎、信玄に仕えた甲斐武田氏の重臣で、武田二十四将のひとり。戦国最強をうたわれた精鋭部隊「赤備え」を率いた最初の人物といわれる。また、猛将として知られ「甲山の猛虎」とあだ名され恐れられた。官位は兵部少輔。 飯富虎昌は、一時期、信虎に反旗を翻したことがあったが許されこれに仕えるようになった。だが、1541年、板垣信形らとともに信虎の嫡男・晴信(信玄)を擁立すると信虎を駿河に追放してしまった。以後、虎昌は信玄に仕え武田家の柱石として重きをなした。猛将として知られた虎昌は常に最前線を任され、1553年からの川中島合戦などで大いに武功をあげた。また、信玄からの信頼あつかった虎昌は信玄の嫡男・義信の傅役も務めている。 しかし、1565年、義信による父・信玄に対する謀反計画が発覚。虎昌はその首謀者として捕らえられると自害を命じられた。そして、同年11月11日、虎昌は切腹し果てた。これにより飯富氏は断絶となった。なお、この謀反計画を信玄に密告したのは虎昌の弟(甥とも)の山県昌景であった。

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