南部信直の肖像画
南部信直
「南部氏中興の祖」といわれる人物で、陸奥国盛岡藩の藩祖。
通称は田子九郎。おもな官位は大膳大夫、従四位下。
南部信直は1546年4月1日、南部氏一門の石川高信の息子として誕生し、1565年、陸奥国三戸城主・南部晴政の養嗣子となって三戸城へ入った。養父・晴政に実子・晴継が誕生すると信直の立場は微妙なものとなり相続争いが勃発するが、晴政没後、晴継が当主となるも謎の急死を遂げ、最終的に信直が南部氏26代当主となった。
判断力に優れていた信直は南部氏の領地を安定、拡大させるために巧みに中央政権と連携した。たとえば豊臣秀吉の時代には、前田利家を通じて秀吉に接近することに成功し、1590年の小田原征伐後の奥州仕置では南部氏領土のうち7郡を安堵された。また、翌1591年に九戸政実が反乱を起こした際は秀吉からの援軍を得てこれを鎮圧した。
その後、和賀郡、稗貫郡の2郡が加増され、南部氏は10万石の大名となった。さらに、秀吉から盛岡城築城の許しを得るなど領内の基盤固めを精力的に行った。だが、1599年11月22日、盛岡城の完成を見ぬまま信直は病のためこの世を去った。晩年は中風を患っていたという。
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