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鬼庭(茂庭)綱元の像(宮城県 石雲寺)

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鬼庭(茂庭)綱元の像(宮城県 石雲寺)

鬼庭(茂庭)綱元
伊達政宗の家臣。父は鬼庭良直。別名は左衛門、石見守、了庵、延元。 豊臣秀吉によって「茂庭綱元」と改名した。綱元は1575年に隠居した父・良直から家督を譲られ当主となり、長井郡川井城主となった。行政手腕に長けていたことから1586年、奉行職に抜擢されている。1590年、豊臣秀吉による奥州仕置が原因で起こった葛西大崎一揆の裏に伊達政宗がいたことが発覚、政宗は秀吉への弁明のため綱元を京へ派遣した。以後、秀吉との折衝役となった綱元はしだいに秀吉に気に入られるようになり、秀吉の愛妾を妻として与えられるほどであった。 だが、豊臣秀吉への急接近は伊達政宗の疑念を呼ぶ。そして1595年、綱元は政宗の命によりわずかな隠居料を与えられると隠居に追い込まれた。こうした政宗の処遇に綱元は激怒、ついに伊達家を出奔する。 その後、許され再び伊達氏に仕え、91歳という異例の長寿をまっとうした。

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