鬼庭良直の像(宮城県 石雲寺)
鬼庭良直
伊達氏の家臣で、伊達郡赤館城主・鬼庭元実の息子。別名は周防守。号は左月斎。
1539年に父・元実が隠居すると家督を相続、伊達氏十六代当主・伊達輝宗の側近となり重用され、天正年間には鬼庭氏は一族の家格が与えられるまでになった。
鬼庭良直は1575年に家督を嫡男・綱元に譲ると左月斎と号して隠居したが、引き続き政務に関わり、輝宗の死後は十七代当主となった政宗を補佐した。1586年、伊達政宗と佐竹氏および蘆名氏ら南奥諸大名連合軍との戦い(人取橋の戦い)が起こると、良直は政宗から金色の采配を与えられ伊達軍の指揮を任された。
だが、兵力で劣る伊達軍は連合軍に押され、伊達政宗も窮地に陥った。良直は政宗を逃がすため死を覚悟で殿を引き受ける。そして、73歳という老体にも関わらず金色の采配を振るって奮戦、政宗を生還させることに成功した。
だが、戦いのなかで良直は壮絶な最期を遂げた。
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