正親町天皇の肖像画
正親町天皇
第106代天皇。諱は方仁。
後奈良天皇の第2皇子として誕生し、1557年、父・後奈良天皇の崩御を受けて践祚した。当時、朝廷の財政は非常に逼迫しており、後奈良天皇の葬儀費にも困るほどで資金調達に時間がかかり、後奈良天皇の遺体は2ヶ月あまりも放置されるありさまだった。正親町天皇の即位式も同じく資金難のため難航し、毛利元就からの援助によって即位式が行われたのは践祚からなんと3年も経ってのことであった。
これほどまでに朝廷は弱りに弱っていたが、1568年に織田信長が上洛するとその状況は好転する。信長によって禁裏御料の回復や内裏の修復が行われ、次第に朝廷の財政および権威は回復していったのだ。同時に朝廷と天皇の権威は信長に利用され、正親町天皇は信長の求めに応じたびたび講和の勅命を出しその窮地を救っている。
信長没後、天下人となった豊臣秀吉も引き続き朝廷保護政策を行い、正親町天皇も秀吉と良好な関係を築いた。1586年、孫である和仁親王(のちの後陽成天皇)に譲位し、仙洞御所での隠居生活に入った。そして1593年2月6日、崩御した。
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