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足利義栄の像

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足利義栄の像

足利義栄
室町幕府十四代将軍で、室町幕府歴代将軍のなかで唯一、京に入ることができなかった人物。生年は1540年説もある。 初名は義親。法号は光徳院。おもな官位は、征夷大将軍、左馬頭、従五位下。 足利義栄は十二代将軍・足利義晴の弟で元堺公方・義維の息子(長男)として誕生した。1565年、三好三人衆と松永久秀らによって十三代将軍・義輝が殺害されると(永禄の変)、義栄は新たな傀儡将軍として久秀らに十四代将軍候補として擁立される。1566年には摂津国富田に入り、左馬頭に任ぜられ、その2年後1568年、ついに朝廷より将軍宣下がなされ義栄は十四代将軍となった。だが、三好三人衆と松永久秀の対立が激化したため、義栄は京に入ることができなかった。さらに同年、織田信長が足利義昭を擁して上洛を果たす。勢いに乗る信長に抗しきれず三好三人衆も勢力を失い、義栄は阿波へ逃れた。 そしてその直後、かねてから患っていた腫瘍が悪化、失意のうちに足利義栄は世を去った。

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