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山科言継の墓所(京都市上京区清浄華院)

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山科言継の墓所(京都市上京区清浄華院)

山科言継
藤原北家四条家の分家である山科家の公家。 法名は昭言。おもな官位は内蔵頭、正二位、権大納言、従一位。 人脈作りに長け、織田信長や今川義元など多くの戦国大名と交流をもったことでも知られる。また、言継が50年にわたって記録した日記『言継卿記』は、当時のようすを詳細に知ることができる一級資料としてたいへん貴重なものである。 山科言継は家業の有職故実や笙、蹴鞠、和歌などに通じた文化人であると同時に、製薬や漢方医学にも造詣の深い多才な人物であった。戦国時代、朝廷の財政は逼迫しており、朝廷の財政責任者である内蔵頭だった言継は諸大名の献金を得るため各地を奔走。 1533年には尾張の織田信秀や平手政秀らに和歌や蹴鞠を伝授し交友を深め、のちに正親町天皇の即位式の際に信秀から献金を獲得することに成功している。また、医療の専門知識を持っていた言継は、天皇や公家らに治療を行ったのみならず、その知識と技術を庶民の治療にも活かし投薬や診療を行ったという。晩年には織田信長と朝廷との交渉役として活躍した。 なお、山科言継が没してから300年以上経った1915年、朝廷存続に貢献した言継の功績が称えられ従一位が贈られた。

Originally uploaded by: mariemon

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