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大久保忠世の肖像画

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大久保忠世の肖像画

大久保忠世
蟹江七本槍、徳川十六神将のひとりに数えられる徳川家康の武将。 通称は新十郎。別名は七郎右衛門。息子は徳川幕府で老中となり初期の幕政で重きをなした大久保忠隣。 若い頃から徳川家康の父・松平広忠に仕え、その後、家康に仕えた。武勇に優れ、特に1573年の三方ヶ原の戦いでは、大敗を喫し城へ敗走したあと、忠世はわずかな手勢だけで武田軍に夜襲をかけ、敵陣を大混乱に陥れたという。これに対し敵総大将・武田信玄は「おそろしき敵かな」と感嘆したと『三河物語』にある。また、1575年の長篠の戦いでも忠世はその働きぶりを織田信長から賞賛されたという。こうした功により家康から遠州二俣城の城主に任ぜられ、さらにその後、信州奉行となり信濃の経営にあたった。1590年、徳川家康が関東に入ると、忠世は小田原に4万5000石を与えられ、小田原藩の藩祖となったが、その4年後この世を去った。

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