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脇坂安治の肖像画

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脇坂安治の肖像画

脇坂安治
賤ヶ岳の七本槍のひとり(ほかは、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、平野長泰、糟屋武則、片桐且元)。 伊予国大洲藩の初代藩主でもある。初名は甚内。号は臨松院。おもな官位は淡路守、中務少輔、従五位下。 1569年に明智光秀の与力として黒井城攻めに参加し、初陣を飾った。ほどなくして羽柴秀吉(豊臣秀吉)の家臣となり、数々の戦いで武功を挙げた。特に1583年の賤ヶ岳の戦いでの活躍は目覚しく、福島正則や加藤清正らとともに「賤ヶ岳の七本槍」のひとりに数えられる。その後、水軍の指揮官となり、1587年の九州征伐、1590年の小田原征伐、1592年からの文禄・慶長の役などに水軍を率いて参加した。 1600年の関ヶ原の際にははじめ西軍に属していたが、小早川秀秋と同じく東軍に寝返った。そのため、戦後、本領を安堵され、1609年には伊予国大洲5万3500石に加増移封された。1615年に家督を次男・安元に譲ると隠居、京に移り住み、1626年9月26日、同地で死去した。和歌をたしなむ教養人でもあったという。

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