千宗旦の肖像画
千宗旦
江戸時代前期の茶人で、千家第3世。字は元伯、別号に咄々斎(とつとつさい)、咄斎がある。千利休の孫にあたり、父は利休の後妻(千宗恩)の連れ子である千少庵、母は利休の娘・お亀。祖父・利休の希望により幼くして大徳寺に入り禅を学んだ。のち、千家が再興すると還俗し、利休の「わび茶」普及に努めた。父・少庵が隠居すると家督を継いだが、祖父・利休の末路から政治との関わりを避け、生涯仕官せず茶の道に専念した。宗旦の茶風は「わび茶」をさらに徹底させ清貧を極めたことから「乞食宗旦」の異名をとったという。次男・一翁宗守は「武者小路千家」を、三男・江岑宗左は「表千家」を、四男・仙叟宗室は「裏千家」を興し、これらは「三千家」として今に続く。また、弟子の育成にも尽力し、特に活躍した藤村庸軒、山田宗徧、杉木普斎、久須美疎安の4人は「宗旦四天王」と呼ばれる。京都市上京区にある相国寺には宗旦に化けしばしば茶会に現れた「宗旦狐」と呼ばれる化け狐の伝説が残る。
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