桂川甫周の墓(上行寺、神奈川県伊勢原市)
桂川甫周
江戸時代中期から後期の医師、蘭学者。代々将軍家に仕えた奥医師・桂川家の4代目。「甫周」は通称で名は国瑞(くにあきら)、号は月池、公鑑、無碍庵など。父・桂川甫三は『解体新書』の翻訳で知られる杉田玄白、前野良沢の友人で、『解体新書』は甫三の推挙で将軍に献上された。甫周も『解体新書』の翻訳作業に参加している。スウェーデン人医学者カール・ツンベルクから中川淳庵とともに外科術を学び、ツンベルクの著書『日本紀行』に甫周の名があったことから海外にもその名が知られるように。甫周は日本人として初めて顕微鏡を医学利用した人物であり、また、漂流してロシアから帰国した大黒屋光太夫が11代将軍・家斉に謁見した際、甫周は書記を務め問答を『漂民御覧記』としてまとめ、さらに後日、光太夫に話を聞き地誌『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』をまとめた。墓所は神奈川県伊勢原市上粕屋にある上行寺(もとは東京都目黒区三田の上行寺の桂川家一門の墓に葬られていたが移転)。
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