栗山利章像(石里洞秀 画、江雪宗立 画賛)
栗山大膳
江戸時代初期の武士、福岡藩黒田家の重臣。「大膳」は通称で、名は利章(としあきら)。江戸時代における「三大御家騒動」のひとつ「黒田騒動」の中心人物。大膳の父は、名軍師として名高い黒田官兵衛(如水、孝高)とその子で福岡藩初代藩主・黒田長政の2代にわたって仕えた黒田家の家臣で、大膳もまた長政とその子で2代藩主・忠之(ただゆき)の2代にわたって仕えた重臣で、先代・長政からの信頼もあつかった。しかし、2代藩主・忠之はわがままで派手好き、幕府の許可なく豪華絢爛な船「鳳凰丸」を建造したり新規に足軽200人を召抱えたりと勝手なふるまいが目立ち、大膳はたびたび忠之に諫言した。だが、忠之は聞く耳を持たず両者は対立を深め、ついに大膳は「藩主・忠之に謀反の疑いあり」と幕府に訴え出た。幕府の裁定は「忠之に謀反の疑いない」「騒動のすべては大膳の乱心による」というものだった。黒田家は改易を免れたものの、大膳は陸奥国盛岡藩に配流となった。これが世にいう「黒田騒動」である。配流先での大膳は預かり先となった南部家の厚遇もあり、趣味の世界に生き、盛岡の文化振興に寄与したといわれる。同地で死去。墓所は岩手県盛岡市にある恩流寺。なお、大膳の子孫および家臣らはそのまま盛岡に定着したという。小説家・森鴎外は小説『栗山大膳』で、大膳を忠臣とし、忠之の暴政をいさめるため一連の騒動を起こした、と描いている。
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