板倉勝重像(長圓寺 蔵)
板倉勝重
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての旗本、大名。江戸町奉行、初代京都所司代を務めたことで有名。通称は四郎右衛門。官位を冠した「板倉伊賀守」の名でも知られる。三河国額田郡(現・愛知県岡崎市)に生まれ幼い頃に出家したが、父と兄の戦死を受け、徳川家康の命により家督を相続、家康に仕えた。家康が浜松から駿府に移ると駿府町奉行に、さらに家康が関東へ移封されると関東代官、江戸町奉行となった。その後、京都町奉行(のちの京都所司代)に任命され、京の治安維持と朝廷の掌握、大坂城にいる豊臣家の監視の重役を担った。1603年(慶長8)に家康が江戸幕府を開くと勝重もそれまでの功により加増され、大名に列した。その後も初代京都所司代として朝廷の統制や西国への幕府勢力浸透に尽力し、黎明期の幕府を支えた。勝重は優れた政治手腕を持ち、奉行としても柔軟かつ的確な判断力で多くの事件を裁定し名奉行とうたわれた。その名奉行ぶりは『板倉政要』に記録される。
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