山片蟠桃の像(兵庫県高砂市米田町神爪)
山片蟠桃
江戸時代中期の商人、学者。本名は長谷川芳秀(よしひで)、通称は升屋小右衛門。播磨国印南郡神爪村(現・兵庫県高砂市)の農家に生まれ、13歳の時に大坂の伯父の養子となり両替商へ丁稚奉公へ出た。しかし本の虫だった蟠桃は役に立たないとして解雇、その後、同業の升屋平右衛門に拾われ、主人が学問好きだったことから蟠桃も大坂学問所の「懐徳堂」に入門し、儒学者の中井竹山と弟・中井履軒に儒学を学んだ。また、天文学者・麻田剛立の私塾「先事館」で天文学を学んだ。長じて番頭となると商才を発揮、傾いていた升屋を再建させた。さらに仙台藩の依頼を受け、仙台藩の財政再建にも成功した。敏腕ビジネスマンとして活躍する一方、精力的に学問にも取り組み、54歳から19年かけ失明にもめげず集大成ともいえる大著『夢の代(しろ)』を完成させる。同書で蟠桃は、地動説を積極的に支持し、『日本書紀』を批判し鬼の存在や神仏を否定する「無神論(無鬼論)」を展開するなど、それまでの常識にとらわれない合理的かつ近代的な思想を唱えた。辞世の句は「地獄なし極楽なし我もなしただあるものは人と万物」「神ほとけ化け物もなし世の中に奇妙不思議のことはなおなし」。墓所は大阪市北区にある善導寺。
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