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松浦静山の肖像画(一番右が静山)

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松浦静山の肖像画(一番右が静山)

松浦静山
江戸時代中期から後期の大名、肥前国平戸藩の9代藩主。幼名は英三郎、名は清。一般に号の「静山」の呼び名で知られる。隠居後に20年かけて綴り続けた随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』の著者として名高い。松浦氏は嵯峨源氏の末流にして鎌倉時代から平戸に土着していた半海賊集団「松浦党」の末裔で、静山も松浦党の誇りを持ち文武両道に優れた若者だったという。16歳の時に平戸藩9代藩主となると、財政が逼迫していた平戸藩の藩政改革に着手、経費削減や行政組織改革、有能な人材の登用、藩校「維新館」を設立しての人材育成などを実行し藩政の改革に大いに実をあげた。幕政への参画の野望を持ったが果たせず、47歳で隠居、江戸は本所(現・東京都墨田区)にある平戸藩の下屋敷で執筆活動に励んだ。1821年(文政4)の甲子の夜に執筆を始めたことで有名な『甲子夜話』は、正編100巻、続編100巻、三編78巻にもなる膨大な量の随筆で、江戸時代を代表する随筆集である。内容は、大御所・家康に関する逸話から、田沼意次時代から寛政の改革時代にかけての政治、自身の青年時代の回想、諸大名や民衆の暮らし、町の噂、ろくろ首の奇談まで非常に幅広い。特に、同時代の大盗賊・鼠小僧については逮捕から処刑までが詳細に記されている。好奇心旺盛だった静山は蘭学にも関心があったようで、入手したオランダ製の地球儀が松浦史料博物館に保管されている。ちなみに17男16女に恵まれた子だくさんな静山だったが、そのうちの十一女・愛子は公家に嫁ぎ慶子を生み、この慶子がのち孝明天皇と結婚し明治天皇を生んでいる。静山は明治天皇の曽祖父にあたるのである。

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