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河村瑞賢の銅像(河村瑞賢公園より)

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河村瑞賢の銅像(河村瑞賢公園より)

河村瑞賢
江戸時代初期の政商。幼名は七兵衛、通称は平太夫。生年は諸説ある。伊勢度会郡東宮村の貧農の家に生まれ、13歳の時に江戸へ出たという。材木屋となり明暦の大火(1657)では建築ラッシュの波に乗り、莫大な利益を得、その後、数々の幕府による公共事業に携わった。瑞賢の功績で名高いものといえば、航路の開拓である。1671年、瑞賢は幕命により年貢米を安全に輸送するための新たな航路となる、外海江戸廻りの「東廻り航路」を、翌年には日本海沿岸から瀬戸内海を廻り伊豆を経由して江戸へ至る「西廻り航路」を開拓、これにより海運は大きく発達した。また、淀川河口の治水工事や安治川の開削をはじめ治水での功績も多大。そのほか、奥州金山の開発、小笠原島の開拓、新田開発などにも貢献した。これらの功により旗本に取り立てられている。1699年、江戸の霊岸島にある自宅にて死去。墓所は鎌倉にある建長寺。同郷の松尾芭蕉とも交流があったという。

Originally uploaded by: なんでも写真館

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