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有馬良橘 海軍大将。日露戦争において、旅順港閉塞作戦(古い艦船を湾口に自ら沈めることで、敵艦隊の湾通行を不可能にする作戦)を立案。作戦実行中は、敵からの攻撃をまともに受けることとなり実行部隊のリスクがきわめて大きい。有馬良橘は3度の閉塞作戦のうち2度指揮官として参加。みずからの行動で志願兵たちを率いた勇猛さから、日露戦争を代表する指揮官の一人に挙げられる。晩年は、明治神宮宮司を務めた。